ショックな出来事

2015年03月01日

とくにリクエストもなかったので、先ほど旧ブログ(跡地)を完全消去いたしました
お断りしたように、過去ログ一切も保存することなく消去しましたので、すでに私自身も何を書いていたのか記憶にない状況です
申し訳ありませんが、ご了承願います<(_ _)>


今日はさすがのこの雨といったところで、予想通りの散々な売上
ランチそのものは10食いきましたが、喫茶客テイクアウト客ともに壊滅的状況
あまりの売れ残りに、今日明日で何件の配達に行かなければならないかも含めてのショックが大きすぎます(ノД`)・゜・。


ショックといえば、中々に悲惨な事件が世間を賑わせているみたいですね
主犯格の18歳の少年は殺害を否認
共犯の17歳2人は18歳少年の犯行を示唆しつつも、自らの殺害関与は否定
・・・なんでしょうかねえ
この『俺は悪くないんだ!やったのはアイツなんだ!』的な擦り付け合いは・・・
18歳少年は警察への出頭時にすでに弁護士の同伴があったとか報道されてたみたいですが、となると、この主犯格の少年は事前に弁護士とかが用意できる裕福な家庭(上流階級)の子供ってことなんでしょう
まだ事件概要がはっきりしないうちから3人の犯行を断定することはできませんが、このあまりにも用意周到さが逆に犯行を証明しているように思えるのは私だけなんでしょうか?


どんな裁判においても、たとえそれが凶悪犯罪の裁判であっても、国選弁護人といった弁護士が付きますよね
冤罪の可能性が否定できない以上、このシステム自体は必要なシステムだとは思うのですが、中には”依頼人の利益のために”を拡大解釈してあまりにもこじつけの弁護をされる方がいらっしゃって、それは社会秩序のためではなくて弁護士さん自らの報酬なのか名声なのか主義主張などのために行われていると言って過言でないように思ってしまいます

例えばこの手の犯罪があった時、よく弁護人が主張するのが『被告人は当時心神耗弱状態にあり、よって被告は無罪である』といったもの
精神鑑定が行われて、心神耗弱が認められれば少なくとも”殺人罪”ではなくなります

でもよく考えてみてください
時には複数の医師らによる精神鑑定・診察が行われたとしても、言うてもすべてが本人の自己申告ですべてが決まってしまうんですよ?
テレビドラマや小説が事実とは限りませんが、よくある風景として弁護士が被告に対して裁判を有利に進めるために”こういう行動はとってはいけない” ”こういう発言はしてはいけない”なんてよく指示出してますよね
そういった指示によって、鑑定を受けている間ずっと『う”~ん』とか唸り、医師の質問が全く理解できていない様な”フリ”ができればそれで晴れて心神耗弱者の出来上がり・・・

犯行直後は第三者を装い、マスコミの質問にしれっと答えれたような人物が、逮捕時には『自分は犯っていない』と主張し、いざ裁判になったら急に心神耗弱状態・・・っておかしくないですか?

そもそも人を殺すという行為は現代において犯罪行為であると物心がついたころから刷り込まれてきた深層まで刷り込まれた心理だと思います
にも拘らず故意・他意にかかわらず行為に至る場合、必ず良くも悪くも精神異常状態になるのが当然だと
それこそ何の感情もなく息をするがごとく何の感情変化もなく人を殺すなんて快楽殺人犯にだってできません(自分の愉悦・快楽のために殺人を犯すわけですから、興奮しないはずがないわけで)
だから犯行時に”正しい判断がつかない精神状態であった”から”罪はない”というのはそもそも理論が破たんしていると言わざるを得ません

話を少し戻して
もうかなり昔の事件となりましたが、かつて和歌山であった毒カレー事件
あの事件の主犯とされた林真須美(漢字これで合ってたっけ?)被告、あの方国から第一級の障がい者認定されていたんですよね
本来第一級の障がい者ならば、他人の介護なくしては起き上がることも立つこともできず、もしくは常に全身の痛みや倦怠感に襲われ、日常生活がまともにおくれないはず
にも拘らず、彼女は当時車椅子生活を余儀なくされ二級の障がい者であった主人の”介護”が出来、マスコミと会話しながら一人で(杖なども一切必要なく)歩いて行ったり、散水用ホースで花(マスコミ)に水やりすら平然と行っていました
のちになぜ認定が受けられたかが調べられた際、医師の前では立つにも座るにも横になるにも足や手を曲げるにも医師や看護婦(当時)に触られるにも、すべてにおいて苦痛と悲鳴を発し、医師自身が患者の痛みを図る術がない以上、本人の自己申告(悲鳴)で判断せざるを得なかったというのがわかりました

つまり、実際の症状と故意に装った症状を見分けるのがとてつもなく困難であるということに他ならないわけです


心神耗弱を装い、反省をしているフリをし、情状酌量で罪を軽くし、しかして友人などに宛てた手紙には『こんなんで(刑罰が)軽くなるなんてチョロイわ!』的な文が書かれていたことはこれまでにも何度もありましたよね

実際にこんなことが許される(?)からこそ、おそらくはネット上などではこういった”いかに刑を軽くできるか”なんてやり方がいくらでも調べられたりできるでしょうから、もはやこれはある意味一般常識なんでしょう、また、冤罪を証明するためならともかく、確信犯に逃げ得を唆すような弁護が認められているからこそ、犯罪行為であるということそのものが軽視され、『たかが遊び』的認識でこれからもこういった犯罪はなくなっていかないのでしょうね


相変わらず、法律を作る立場の人間が『知らなかったから罪にはならない』、『法に反しているわけではないから何の問題もない』とか平気で言ったりしてますからどうにもなりませんよね(笑)


タグ :戯言

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Posted by 某所の人 at 19:32│Comments(0)戯言ひとりごと
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